ラムネ
小樽はかつて物流の拠点であり、北日本随一の経済都市の面影をお菓子屋さんからもみることができますが、お菓子以外の清涼飲料水でも小樽は全道の中心でした。

小樽で最初にラムネ製造を手掛けたのは、忍路、高島でかつては場所請負商人として活躍した西川貞次郎が明治28(1895)年に大阪から元店員の稲本茂太郎に機械をおくり製造したことが最初と言われています。翌明治29(1896)年に浅野曽我太郎らによって製造が開始され、のちに「小樽ラムネ(株)」を設立します。

しかし明治40(1907)年ころ、横浜で作られた「軍艦サイダー」が北海道を席巻します。
この年、花園町大通(花薗銀座商店街)で野村兵助らによって「北海屋」が設立します。「軍艦サイダー」に対抗して「水雷艇サイダー」と名付けた商品で勝負します。「水雷艇」とは小型で機雷などの水中で爆発する爆薬を投下し、大型の戦艦に対抗するものでしたが、野村たちの「水雷艇サイダー」は気密性に優れていたこともあり、みごとに横浜産の「軍艦サイダー」を一掃します。
戦後、昭和30年代まで、小樽でのラムネ生産は全道屈指の生産高でした。

暑い日が続きます。冷たいラムネをのみながら、小樽の歴史をしのんでみませんか。