ヘントンカントン
今回は、最近私を悩ませるある物について皆様に聞いて頂きたいと思います。それは何かと申しますと「ヘントンカントン」なる謎の言葉です。
この「ヘントンカントン」は『鵙目日誌』内の明治7年1月2日の日記中に突如として現れます。その状況を書き抜いてみます。
“同日晏起年始ニ出テス○午後三上甚吉年始ニ来ル微酌ス同人小児女江江戸絵五枚ヘントンカントン弐ツ贈ラル”
(拙訳)その日は遅くに起きたので、年始廻りには出なかった。午後に三上甚吉氏が来たので少し酒を酌み交わす。三上氏が私の娘に江戸の浮世絵を5枚とヘントンカントン2つを贈ってくれた。
お菓子?おもちゃ?それとも??
果たしてこの「ヘントンカントン」は何なのでしょうか。お菓子のような物なのか、はたまたおもちゃのような物なのか、それとも縁起物のようなものなのか。
手近な物で調べてはいるのですが、現段階では明らかには出来ていません。作業をしつつ色々と予想を立てながら考えてはいますが当て処もないまま。思いつくまま文献をあさる日々です。
『鵙目日誌』とは
元伊達家岩出山藩藩士で教育者の鵙目貫一郎(もずめかんちいろう)によって記された日誌。明治初頭の小樽における教育や市井の暮らしが記録されている。鵙目は明治6年に開拓使によって設立された「小樽郡教育所(後の量徳学校)」の初代教授(校長)を務めた。
小樽市立量徳小学校に小樽群教育所に関する巻が寄贈されたが、平成24年に同校が閉校した後は小樽市教育委員会が所蔵している。