大日本職業別明細図 小樽市
今回は『大日本職業別明細図 小樽市』(東京交通社、大正14(1925)年)をご覧いただきます。
この地図は全国(朝鮮半島、台湾なども)の都市(昭和10年代は町村も発行)の市街地を広告付きで紹介するものです。
国会図書館所蔵のデータでは237枚発行されていますが、注目すべきはその発行年代です。あくまでも国会図書館のデータでは、ですが、最も古い福井市が大正14年7月、その次の発行が小樽市となります。シリーズ初期の対象都市として選ばれた理由には、当時の小樽の経済的な発展が注目されていたからではないでしょうか。地図は平磯岬から長橋までの旧小樽区の範囲(大正11(1922)年に市制施行)で、裏面に広告を掲載した店舗を多少デフォルメしながら記載しています。
現在も残る建物や、老舗も発見することができ、中心市街地はかなり詳細に情報を得ることができます。「黄金期の小樽」を散歩することのできる地図です。
小樽運河周辺
大正12(1923)年に市営(区営)埋立工事が完成し、「小樽運河」が出現していますが、まだ埋立地は空白が多く、税関支署だけが記載されています。
西川養鯉園と川島養鯉園
画面の右上隅、タイトルに隠れている長橋の部分を紹介します。ここには「西川養鯉園」と「川島養鯉園」の文字が見えます。大正から昭和初期、小樽名産といわれたコイの養殖場です。長橋からオタモイにかけて、最盛期には大小20軒近くの養鯉場がありました。
稲穂大通りと中央通の交差点付近
当時の小樽を代表した十字街、稲穂大通りと中央通の交差点付近です。現在の北陸銀行の場所に「〇ヨ」野口商店、その向かい側には北海ホテルがありました。小樽駅から港に向かう中央通を挟んで立っていたこの二つの建物は当時、多くの絵葉書に残されました。現在の市民センター山側に病院が二軒並ぶ光景も現在と同じです。
色内駅から都通りにかけて
北洋銀行小樽中央支店がある場所には、「北門銀行(のちに拓銀と合併)」、その下の方に「明治眼科」の文字が見えます。明治眼科は中央通りに面した現在の場所で開業されましたが、焼失したため、この時期は色内駅付近で開業されていました。20年ほど前まで、この場所にあった洋館を覚えておいでの方もいらっしゃるでしょう。
裏面の広告欄
裏面の広告から、医院の欄です。現在も活躍されている医院が多いですね。
花園大通り
中央にみえているのが、のちに「龍宮閣」を作る「蛇の目」寿司、そのとなりに「左文字書店」がみえています。工藤書店や左文字書店は、近年まで、高校の教科書指定販売などで営業をされていました。記憶にあるのではないでしょうか。
とにかくこの地図は、本当に読み込むべき場所が多いです。