車輌製造会社「H.K.ポーター」
博物館敷地内を走る蒸気機関車『アイアンホース号』が作られたのは1909(明治42)年、111年もの昔です。作ったのはアメリカの車輌製造会社『H.K.ポーター』。今回はこのポーター社についての話です。
アイアンホース号が小樽に来たのは1996年、総合博物館の前身にあたる『小樽交通記念館』の開館に合わせてアメリカから太平洋を渡ってきました。敷地内の線路を走らせるため、状態の良い蒸気機関車として選ばれたものですが、それに加えてポーター社が作った車両であることも大きなポイントでした。というのも1880(明治13)年、手宮を起点とした『官営幌内鉄道』の開業にあたり、アメリカから輸入された2両の機関車がポーター社製のものだったのです(これら2両は『義経』『弁慶』の名で知られています)。2両の同型機はその後も増備が続き、最終的に8両となりますが、そのうちの1両が現在、博物館の館内に入ってすぐの場所で美しい姿を見せる『しづか』です。
このようにポーター社は北海道の鉄道発祥に深い縁のある車両メーカーであり、そうした繋がりを重視したことによりアイアンホース号は、小樽の地を走るに相応しい蒸気機関車と考えられたのでした。
北海道の近代化に貢献したポーター社製機関車
幌内鉄道のポーター機たちは石炭をはじめ、さまざまな物資の輸送に活躍し、北海道の近代化に大きく貢献しました。その後も大正時代にかけて、日本に輸入されたポーター社製機関車は50〜60両に上ると推定されています。それらはいずれも小型機関車でいくつかの私鉄(北海道炭礦鉄道、長州鉄道/山口県、大湯鉄道/大分県など)のほかは、工場敷地内の線路や森林鉄道などがおもな働き場所だったようです。小型ゆえに本線での使用機会は少なかったとみえ、後年に国有鉄道(鉄道省)に編入されたことが確認できる機関車は、3種7両ほどにとどまります。
アイアンホース号の銘板
アイアンホース号見学の際にはボイラー左右の側面、『H.K.PORTER COMPANY PITTSBURGH USA』の文字が刻まれた銘板に注目してみてください。