“むかし”の小樽
小中学生から「むかしの小樽は今とどう違っていたのですか?」という質問を受けることがあります。小樽には旧石器時代からの2万年の歴史がありますから、旧石器時代の話をすればよいかというとそうではなく、彼らの期待している話は明治から戦前にかけての話なのでしょう。しかし、時代により物事も暮らしも変遷していくということを理解してもらっていないようです。
彼らの期待する「むかし」であっても、100年の幅があります。
今回ご紹介する絵葉書2組は、いずれも同じ地点を明治40年ころと、昭和10年ころに撮影したものです。
中央通と稲穂大通りの交差点付近
最初は中央通と稲穂大通りの交差点付近で、どちらも画面奥に踏み切りが見えています。
昭和10年ころの絵葉書をみると、画面右の野口ビルと左の北海(屋)ホテルが確認できますが、繁栄期の小樽を象徴する建物でした。
一方、明治の絵葉書には当然そのような大きな建物はありません。明治37年の小樽中央駅設置後に市街地化した場所で、まだ閑散とした雰囲気があります。
色内通
一方で、三井銀行小樽支店などがある色内通は明治からのビジネスストリートとしてにぎわっています。
2枚の絵葉書をくらべていただくと、左の時計店の看板、右側の木骨石造の「今井呉服店」、その奥の三井銀行小樽支店は変わりませんが、その周囲の建物の多くが立て替えられています。馬車から自動車への変遷も記録されています。
歴史が点ではありません。常に流れ、間断なくつながっていくものです。この2地点もその後も記録され続け、2022年の光景もいずれ歴史の一齣になっていきます。