潮見台球場
以前「潮見台球場の場所を知りたい」というお問い合わせがありました。一応、小樽の近代史を担当して長いのですが、初めて聞く名称で、念のため所蔵の地図で確認しましたが、該当するような施設を見つけることはできませんでした。
しかし!
質問された方からは「昭和12(1937)年8月に巨人と小樽野球協会の試合が、翌年にはイーグルスとセネタースの試合が行われた。」という詳報を教えていただき、謎が氷解しました。
昭和12年といえば、小樽公園を会場に北海道大博覧会が開催された年です。それまで野球の大きな試合は小樽公園を会場としてきたのですが、博覧会により使用ができなくなった年でした。
さらに調べていくと、小樽新聞(昭和12年4月22日)に「青木氏所有の若竹町の大広場を代用グラウンドとして借用」とでてきます。「青木氏」とは花園から若竹に至る大地主であった青木乙松のことです。
ところが、同じ小樽新聞の5月11日の記事には「潮見台代用グラウンド」と地名がかわっています。さらにこの年の夏に小樽新聞主催の野球大会が行われた時の記事には「潮見台球場」と名称も変化しています。「球場」とはいえ実態は代用グラウンドでした。
場所はどこ?
さて問題はこのグラウンドはどこにあったのでしょうか?
潮見台、若竹の地名が使われることからこの両町の近接地点が候補と考えられ、そうなると野球のできる平坦地が確保できるのは、現在の小樽測候所付近もしくは潮見台浄水場横の潮見台公園くらいとなります。
そしてさらに調べていくと昭和15(1940)年9月20日の海員養成所(現在の海上技術短大の前身)の上棟式の記事に「潮見台グラウンドに建設中」とあるのを見つけました。
「海員学校」として親しまれた同校が潮見台(正確には勝納)にあったことを覚えてらっしゃる方は多いかと思います。さらに、その横に通称「グラウンド」とよばれた広場があったことを記憶されている方も多いでしょう。戦後も周辺の学校の運動会などに使われていたようです。昭和23(1948)年撮影の国土地理院所蔵の航空写真でも「広場」と思われる地形が写っています。
情報をお持ちの方は博物館まで!
測候所付近を「潮見台球場」と呼んでいたことをご存知の方はいらっしゃいますか?
おそらく使用期間は、昭和13年の秋に小樽公園の整備事業が終わる1年半のみであったと思われる「代用グラウンド」で、短期間のみの存在であったため史料が少ないのですが、北海道大博覧会の余波と考えれば、非常に貴重な出来事です。今後も調べていきたいと考えています。