火事見舞い
皆さまは、火事見舞いという慣習をご存じでしょうか。今回紹介する新着資料は「類焼見舞御芳名録」です。
類焼(もらい火)ということで、まさに火事見舞いにかかわる資料です。
資料の表紙を見ると、これを作成したお宅は昭和7年の10月29日の午後4時に類焼したということです。『小樽新聞』でも同日の火災が記録されており、花園町で2棟3戸が焼けてしまったようです。
「類焼見舞御芳名録」には
そんな火事にまつわるこちらの資料、中身を開いてみると…いろいろな品物と送り主の名前が記載されています。
これらを一つずつ見てみると・・・
「醤油」「酒」「ビール」「三円(商品切手)」
お酒やビールといった品物が目立ちます。
「火事見舞い」といえば「お酒」?
現在、この資料の分析は途中までですが、分析が済んだ254件のお見舞い品目の内訳上位を挙げてみると・・・
「酒」:106件(41%)
「切手(商品券)」:31件(12%)
「現金」:28件(11%)
「そば」:11件(4%)
「醤油」:11件(4%)
「炊き出し」:11件(4%)
「ビール」:7件(3%)
「米」:6件(2%)
お酒がとびぬけて多い様子がみえますね。現金や商品券より多いのは、一見不思議にも感じられます。自分たちで飲んだのでしょうか?
しかし、実は江戸時代ころから、火事見舞いといえば「お酒」というのは定番だったようです。というのも、近所が火事に遭った時には真っ先に駆けつけて見舞う、あるいは手伝う…これを当時の人々は一番の義理としていたためです。(詳しくは高村光雲『幕末維新回顧談』参照)
そして、見舞いや手伝いに来てもらった人々に、何もお返ししないわけがありません。もらったお酒や食べ物が、ここで振る舞いに使われるわけです。今回の資料で現れた酒や食べ物なども、手伝ってくれた人にお酒を飲んでもらう。あるいはすぐ調理して振る舞えるようなそば、米飯も用意する…。そういった意図で見舞い品として贈られたものと考えられそうです。
また見舞い品目の中には、「炊き出し」という項目もあります。これは先ほどの話を踏まえると、品物を渡すのではなく、駆け付けた人への炊き出し自体を手伝うケースもあったと考えられるのではないでしょうか。
今後、さらに分析を進めるとまた違った傾向も見えてくるかもしれませんが…少なくとも昭和初期の小樽に、江戸時代以来の火事見舞いの慣習が十分に息づいていたことがわかる資料と言えそうです。