おうちでおたる | 2021.06.01

小樽百景~北海道社会事業協会小樽病院 

小樽市総合博物館Facebookより

北海道社会事業協会小樽病院

小樽市民が「協会病院」とよぶ「北海道社会事業協会小樽病院」は、地域型日本遺産を目指すストーリー「北海道の心臓と呼ばれたまちー「民の力」で創られ蘇った商都」の重要なキーとなるものです。このストーリーの中で「民の力」、つまり地域住民の互助や努力によるまちづくりが小樽の特徴で、その代表的なものが「小樽運河保存運動」とそれ以降の歴史的な建造物の活用にある、という点を取り上げました。その下地は、明治以降、急速に発展した小樽で、まちの暮らしを守るために情熱的な行動をした人々の行動があります。

その例としては、小林運平が私塾としてはじめた「小樽盲唖学校(のちの道立小樽聾学校)」、中島武平が設立し、輿水伊代吉によって確立した孤児院「育成院(現 小樽育成院)」などの献身的な努力を周囲の資産家たちがサポートしたものや、小樽高商誘致運動のように財界の力で成功したものなどがあげられます。

小樽慈恵病院   

協会病院もその代表的な例といえます。明治35年、当時、龍徳寺の住職であった有田法宗が、貧困のため病やけがに苦しむもの、行倒れの人々を救済するため、檀家で、小樽の医師の草分けでもあった福原資孝らに協力を仰ぎ、無料で受診できる「施療所」を病院の一室を借りて始めます。

北日本随一の経済都市へと劇的な発展をする陰で、職を求め全国からやって来る人々の中には経済的困難に苦しむ人も多かった時代でした。

明治44(1911)年 『東宮行啓小樽区写真帳』より「慈恵病院」
建物の場所は現在の協会病院の位置
明治44(1911)年 『東宮行啓小樽区写真帳』より「慈恵病院」
建物の場所は現在の協会病院の位置

この「施療所」はのちに地元経済界の支援を受け、「共立小樽施療院」そして「小樽慈恵病院」となります。現在の位置に大きな病院も新築されますが、貧窮する病傷人の無料治療は継続され、一時期はその家族の生活費の補助も行っていました。

大正15(1926)年 『最新小樽市街図』
画面下左に「慈恵病院」、小樽病院(現 小樽市立病院)は量徳小学校跡地に近年移転している。
大正15(1926)年 『最新小樽市街図』
画面下左に「慈恵病院」、小樽病院(現 小樽市立病院)は量徳小学校跡地に近年移転している

また一般外来の患者に対しても、その資力に応じて低料金での治療を行う「軽費患者」制度も実施していました。その活動は大正3年発行のガイドブック『小樽』の中で、小樽病院はじめ病院・医師が掲載される「病院開業院及び薬剤師」の項目ではなく、「救済機関」の項目に、先に挙げた育成院などともに掲載されています。『小樽』では当時の財政面、一万二千円(大工の日当で換算しておよそ2~3億円)について「慈善者の義捐金品及び院の所得と会員の拠出によって維持」とあり、かなりの額が寄付によって運営されていたことがわかります。

小樽協会病院    

その後、経営問題もあり、北海道社会事業協会に経営母体がかわり現在に至ります。社会事業協会は社会福祉法人ですので、協会病院も医療法人ではなく、社会福祉法人となっていますが、ここに、かつての施療院創設時のルーツが受け継がれている気もしています。

小樽には、船乗りの傷病者を対象に造られた掖済会病院(全国に9つしかない)があることも港町の歴史を反映しているといえます。

小樽市総合博物館

1956年創立。小樽の歴史と自然を紹介する運河館、鉄道と科学を紹介する本館があります。様々な企画展や講座、蒸気機関車の動態保存などの体験もできます。   【小樽市総合博物館】 ▶本館 047-0041 北海道小樽市手宮1-3-6 電話 0134-33-2523 ▶運河館 047-0031 北海道小樽市色内2-1-20 電話 0134-22-1258  ■HP→https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/ ■FB→https://www.facebook.com/otaru.museum/ ■mail→museum@city.otaru.lg.jp

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