小樽運河の長さ
小樽運河は大正12(1923)年12月27日、市営(区営)埋立工事の完了届が提出されますが、この時点で「運河」の長さは何mあったのでしょうか?
これについては以前諸説あることをご紹介しました。(小樽百景~完成時の小樽運河は何メートル?)
完成直後にまとめられた『小樽港湾修築誌』(大正13年)には、埋立面積と「運河」の幅のみが記録され、そこから計算すると1,314mとなります(渡辺悌之助『小樽運河史』1979年)。ほかにも1,324m、1,338m、1,365mなどの数字があげられます。
現在は1,140m
一方、現在小樽市の出版する印刷物では運河の長さは「1,140m」となっています。約200mも違うのですが、それは完成以来の「小樽運河」の変遷が影響しています。
どこからが運河?
さて、前提として「どこからが運河なのか?」ということをはっきりさせなくてはいけません。手元にあるアプリでの計測ですが、運河北端からオコバチ川河口までは約1.24キロあります。1,140mではありません。
実は、運河は現在も港湾施設として産業港湾部が管理していますが、その範囲は浅草橋(札幌側の欄干)までです。そこから南側は、「オコバチ川」で建設部の管理です。現在「西洋美術館」がある横の70メートルの水面は、運河ではなく、オコバチ川ということになり、港湾施設としての運河は浅草橋から北の1.1キロあまりとなります。
これだけでは不足分160mにならないのですが、区営(市営)埋立工事完成直後はオコバチ川の南側にも水面が伸びていました。後にこの部分が埋まっています。
埋められた時期は、明確ではないのですが、昭和30年の地図には、本来水面であるべきこの部分に建物のマークがついていますし、浅草橋南側は細い川でオコバチ川が記されています。このころには「運河」の水面は浅草橋までという状態だったのではないかと考えています。
ここが使われなくなった理由の一つに、埠頭完成により、港への出口(月見橋の位置)がかわり、オコバチ川河口より南側の部分が使いづらくなったためではないでしょうか。昭和23(1948)年の航空写真ではこの部分は護岸は確認できますが、水面はヘドロで埋まっています。保存運動にかかわる大きな変化の他にも、運河はこの100年の間に姿を変えてきました。