旧澁澤倉庫
渋沢栄一ゆかりの建物として「澁澤倉庫」や「第一銀行」がありますが、そこで気になったのが、北運河にある「旧澁澤倉庫」です。
当館所蔵の大正前半の写真でもこの倉庫の壁に通称「おびりゅうご」(渋沢家では「ちぎり」と呼ぶ)の印がみえます。しかし、澁澤倉庫が小樽に進出したのは大正4(1915)年ですが、この倉庫自体の建設は明治25(1892)年ころと考えられます。つまりこの倉庫は「澁澤倉庫」として建設されたものではありません。(篠崎恒夫 2017「『歴建ガイド』編集上の問題点」(『小樽市総合博物館紀要』第30号)によれば「遠藤又兵衛倉庫」)
では「澁澤倉庫」として建設されたものはといえば、現在も運河沿いに建つ「澁澤倉庫」です。上の写真の通り、当初は港への出入り口の角にあり、そのため壁がカーブしています。また昭和30年代の地図には「雑穀精撰工」とあり、平らな屋根構造はいわゆる「豆撰り」の場所であったことによるとみられます。
澁澤倉庫がはじめて東京以外に進出した場所が小樽であったことは、小樽の経済的な繁栄を示す一つのエピソードです。