JR南小樽駅跨線橋
令和3(2021)年7月11日から、JR南小樽駅の跨線橋が新しくなりました。
それに伴い、旧跨線橋は解体撤去となり、その撤去の前に簡易的な拓本採集をしてきました。
旧国鉄の記録では旧跨線橋は昭和29(1954 )年に建築されています。ただし、当時はホームは現在の島ホームの他に、海側(駅舎側)に対面式のホームがあり、さらに駅舎は小樽よりにあったため、跨線橋は両側のホームをつなぐ、両脚のもの(通常の跨線橋)でした。
その工事が完了した頃、小樽市役所は国鉄に対し、南小樽駅の改築移転を陳情しており、新聞にも議会での質問の様子が掲載されています。その結果昭和31(1956)年になり、国鉄が現在の駅舎の新築移転を決定、昭和33(1958)年に駅舎が完成しています。そのときに崖上に出来た駅舎と跨線橋の橋梁部をジョイントして今の形ができています。「ツギハギ感」があるのはそのためです。ちなみに対面ホームへの下り階段は昭和54(1979)年に撤去しています。
レールの拓本
旧跨線橋には、古いレールを再利用した梁財が使われていました。今回、簡易的な拓本をとったレールは二本とも「官営八幡製鉄所」のものです。
1911年製のものにある刻印(「ロールマーク」)の「NO60A]とは 60ポンド(1メートルあたり)のA型(およそ30キロな)、その後ろの縦棒は製造の月なので「2月」となります。そのほかに1928年のものは社章と年月日(1928年4月)を確認できました。
昭和29年の跨線橋に50年近く前のレールが使われていた理由なのですが、レール材としてストックされていたのか、昭和29年以前の跨線橋の材料を再利用したのかは不明です。当時の南小樽駅は繊維問屋など商業の中心地の駅で大変混雑しており、別のものを作って完成時に切り替えたのではないかと考えられます。となると再利用は難しくなります。ただ、私は再利用なのではないか、と考えています。古材のストックとしてだと、戦争中の金属供出をのりこえたことになり、手宮線の複線部分を取り外して供出したぐらいですので、すこし考えにくいと思います。
新跨線橋は何代目?
当館の写真では、遅くとも明治30年には跨線橋がかかっています。
当然1911年以前ですので、これは架け替えられたはずです。そして昭和29年の跨線橋が3代目であることは確実です。となると、少なくとも4代目ということになります。ちなみに駅舎も明治13年の開運町、14年の住吉の二つと、戦前までの駅舎、昭和33年の駅舎と少なくとも4代目ということになります。
写真でみる跨線橋
南小樽駅は、明治13(1880)年11月に開設された、道内の現存する駅では最も古い駅の一つです(同時に「銭函」「手稲(軽川)」「札幌」も開業)。
当時は「開運町仮停車場」という名称で、現在の駅舎の札幌側に設置されました。翌年、大火により焼失し、今度は現在の駅舎の小樽駅側に「住吉停車場」として開業します。線路を挟んで対面式のホームがあり、線路の横断はレール間に敷かれた踏板の上を歩いていました。
跨線橋が確認できるものでは、明治30(1897)年ころのものがあります。札幌方向から撮影されたもので、「量徳橋」の奥に跨線橋がみえます。この部分は、幌内鉄道開業時はトンネルでしたが、明治20年代に開削され、馬車や人の移動のため量徳橋が架けられています。
大正7(1918)年の写真にも跨線橋がうつっています。これも札幌方向から撮影していて、量徳橋の奥に跨線橋が見えます。右側の崖上には連結しておらず、また手前に階段が見えませんので、小樽側に階段がある構造であったと思われます。写真からはこれが明治30年のものと同じか否かは判断できません。量徳橋との位置関係からは、先日撤去された跨線橋とほぼ同じ位置にあったことがわかります。