造成以前の小樽駅周辺
現在のJR小樽駅周辺は、丘と沼が多い「荒蕪地」であったことは、文献や地図に記されています。明治24(1891)年の地図には、富岡の周辺から続く斜面と河川があったことが記されています。
榎本武揚らが出資した北辰社による造成と、海岸線の市街地化による直行寺や正法寺などの移転により次第に市街地化されていきます。
では、造成以前の様子はどんなものだったのでしょうか?
それを示す絵葉書を入手できました。
小樽沿革絵葉書第一輯 (九)稲穂町の今昔

「小樽沿革絵葉書第一輯」と題されたシリーズで「九 稲穂町の今昔」となっています。絵葉書の左側に「現在(当時)」の小樽駅前の写真があり、右側に「小樽停車場付近」と題された作業現場が写っています。

正確な地点は不明ですが、一番後ろの山並みは石山ではないかと思われますので、駅前付近を南(札幌)側から北(手宮)方向を向けて撮影したものと思われます。
興味深いのは下段の「寺田家所蔵」の文字です。おそらく寺田省帰の家を指しているものと考えています。寺田は北辰社の実質的な経営を担った人物で。造成前の写真を所蔵していても不思議はありません。
なお、左側の写真には「北海屋ホテル」はありますが、右にあるはずの「野口商店」はみえません。北海屋ホテルの新築は大正7(1918)年、かたや野口商店の新築は大正14(1925)年です。その間のものでしょう。

この「沿革絵葉書」は人気となったようで「第二輯」も出版されています。博物館では第二輯はすべて所蔵していますが、第一輯がみつかっていませんでした。