町名番地改正小樽市全図
今回ご紹介する地図は『町名番地改正小樽市全図』(昭和3(1928)年発行)です。110cm×93cmの大きな地図に、主な建物、町名、地番の抜粋が描かれています。
「町名地番改正」とありますが、昭和3年に最も近い町名改正は大正4(1915)年のものです。この改正で「松ヶ枝町」「最上町」「緑町」「末広町」「錦町」など、市街地周辺の住宅街が町単位に編成されます。一方で小樽郡当時からあった「土場町」「芝居町」などがなくなります。
大きな地図ですので、細かいところまでわかる、といいたいところですが、目的は新しい町名と番地の表示ですので、主要な建物は、小さく書かれていて、拡大してもはっきりとしないところもあります。
この地図が作成されたころが、小樽のピークであったといってよいかと思います。現在でも、この地図で道案内ができる程、小樽の完成形が描かれている、といえます。運河周辺には「色内銀行街」がすでに形成され、多くの銀行の名前が見えます。注目していただきたいのは運河の左側、「立岩」がまだ残っていることと、その下に鉄道の予定線が記入されている点です。この線はのちに少し経路を変更し、小樽臨港鉄道が使用することになります。
手宮の焼肉屋さんのところにあった乗降客用の手宮駅です。駅の近くに石炭会社の名前が見えますが、これは現在もお使いになっています。
製氷池
最上町にはオコバチ川にそって沼のような表記があり、よく見ると「製氷池」とあります。天然氷の製造が行われていました。ただ、最盛期は明治の後半で、このころには人工製氷も普及し始め、間もなく姿を消します。
芹の沢温泉
この地図でいつも引っかかる点が、天神町の天満宮前にある「芹の沢温泉」です。ほとんど資料がなく、いつから、いつまで経営されたのか、その規模は?など不明な点ばかりです。小樽新聞では昭和2年に「拡張工事」の記事があるのに、昭和4年に「開業」の記事がある、という不思議な温泉です。
小樽の町名は、このあと昭和44(1969)年に再び大きく改正され、現在の町名となります。