「昔」の服装
「昔の人はどんなものを着ていましたか?」という質問をされることがあります。近代を中心に展示している博物館ですので、質問者も明治以降のことを聞いているとは思うのですが、「昔とは?」というところで引っかかる質問です。
小樽の場合、昭和2(1927)年に、現在の花園銀座街で日本女子大の学生による服飾調査があり、他都市に比べ詳細なデータがのこっています。それによれば、男性の9割が洋装、もしくは印半纏などの作業服なのに対し、女性のほとんどが和装でした。
さらに、小樽の発展期にあたる明治40(1907)年ころまでさかのぼると、男性も大手の会社員、教員、官吏などは洋装ですが、商工業の多くは和装だったことが写真からうかがえます。
明治時代の写真から
1枚目は明治40年ころの色内通、現在の郵便局付近から手宮方向を撮ったものです。帽子をかぶった男性はいますが、確認できる限りでは洋装はいません。しかし、画面左側には「シャツ」の文字が見えていますので、実際は洋服の需要は少なくなかったと思われます。
2枚目も明治40年ころの浅草通です。日銀の移転前ですので目印がありませんが、オーセントホテル付近から港に向かって撮影しています。当時の経済の中心地に向かっての道ですが、この写真にも洋装の人物は写っていません。子どもたちも和服にげたですが、このころから卒業写真では学生服風の洋装が目立つようになります。
3枚目は明治36(1903)年の郵便局付近のもので、右奥に三井銀行が見えています。この写真には左側にマントを羽織い、革のブーツをはいた洋装の男性が写っています。制服でしょうか。
4枚目は小樽公園に集まった群衆です。これも明治末のものです。花園公園グラウンド付近で競馬が行われた時のものです。多くの群衆が集まったこの写真には、色内通付近とは違い、当時の小樽の普通の暮らしをしている人々が写っています。中央付近に帽子をかぶった3人の洋装の男性がいますが、その周りは和服、帽子のみ洋風という人々です。
大正時代に入ると、小樽の経済的発展とともに衣服の洋風化が加速していきます。