小樽のニシン漁
今からちょうど130年前、明治23(1890)年の様子を紹介します。
住𠮷屋西川家の商店日記より
小樽で活躍した住吉屋西川家の商店日記からの抜粋です。
この年、西川家の各漁場では、3月25~27日にかけて建網(定置網)を設置し、30日に「初鰊」とあることから、漁獲をスタートさせたようです。そのあと、4月は3日・4日・5日・6日・7日・9日・14日・23日、5月は1日・3日・4日・10日・12日と漁が断続的に続きます。
「五月十四日(中略)昨十三日午前十時過ヨリ鰊群来(くき)セシガ、最初字萱シマ、イ印網、并、弁天元場網ニ乗始リ、漸次、ハ印・本泊リ・魚露ヘ及漁セシヨリ、漁夫一同奮起発声シ、優劣ヲ競ヒ漁獲ヲ勉メタリシガ、可惜ハ夜十二時過ニシテ鰊散去セリ」とあります。地域的には小樽の高島・祝津周辺の漁場での様子ですが、午前10時から夜中の12時まで(半日も!)ずっと鰊漁をしていたようです。競って奮起発声とありますので、恐らくソーラン節を歌いながら延々と漁を続けていた様子が目に浮かびます。
そのあと、5月16~23日に「鰊釜焚」とあり、〆粕などの魚肥製造に従事し、5月25日にもニシン漁がありましたが、最終的には、6月4日に「所属漁場中鰊建網ヲ揚陸ス」と漁の終わりが見受けられます。
こうした商店日記は、明治17年~23年を中心として残されており、この時期のニシン漁の復元になくてはならない史料になりそうです。