大日本海陸全図
今日は少し古い地図を紹介します。文久4(1864)に発行された『大日本海陸全図』です。幕末に出版された地図ですが、形状の正確性はともかく、全国の港・湊・海路などを細かく記載しています。当時の全国地図としては貴重なものであったはずです。
この地図の右下に「詞書」があり、この地図の作成経緯が書かれています。
曰く「これまで正確な日本地図は幕府などに秘蔵され、一般に出回るものは不正確なものばかりであった。そこで水戸、赤水先生の地図が正確と評判なのでこれをもとに地図を作製した」
この「赤水先生」とは水戸藩の長久保赤水(1717~1801)のことです。伊能忠敬が日本地図を最初に完成させた人物とすれば、赤水は「先駆者」として位置づけられています。赤水がのこした資料107点は、国指定重要文化財となっています。
さて、赤水の業績の中でその筆頭ともいえるのが『改正日本輿地路程全図』(安永8(1779)年発行)です。実は「赤水先生の地図を参考に」とあるものはこの「輿地路程全図」のことです。「輿地路程全図」は日本で初めて緯度、経度を記入した地図であり、諸国を「赤、青、黄色、ベージュ」の4色に塗り分けています。
蝦夷地
当館の地図はこのコピー商品ともいえます。しかし、大きな違いもあります。それが「蝦夷地」の記述です。
赤水の地図は本州以南の記載でしたが、この地図には、たいへん不正確な描写ですが、蝦夷地と主な地点名が書かれ、その中には「ヲタルナイ」「タカシマ」などが見られます。
その左側に注意書きがあります。
それによれば「蝦夷地の部分は概略を描いたもので、紙面の関係で実際より縮小し、地名も省略している」ということです。
また、その地名もよく見ていくと、並び方がおかしい場所が少なくありません。小樽周辺でもサツホロから左にハツシャブ(発寒)の次がイシカリ、そしてテシヤ(テミヤの誤記?)、その左がヲタルナイとなっていて、かなりいい加減です。
縮尺、方位が正確な地図としては伊能忠敬によるものを待たなければいけません。
「島」の描かれ方
現在の地形図と比べて、特徴的なところがあります。それは島嶼がかなり大きく描かれている点です。瀬戸内の島もそうですが、隠岐島、佐渡ヶ島が目立ちます。
その理由は、単に測量技術が未熟だったのかもしれません。しかし、当時の海路の重要性を考えると、島の持つ重要性が、より詳細な情報を必要とし、大きめに描いたのかもしれません。もしこれが妥当な推論だとすると、蝦夷地がいい加減に、また小さく描かれている理由はその逆、つまり本州の人々にとっての重要性が低かった、といえるのではないでしょうか。
海路と陸路
この地図には、上下に江戸からの「海路」「陸路」の距離数も掲載されています。蝦夷地の記載はなく、松前が「陸奥」の欄に、しかも陸路のみが表記されています。松前に陸路で行くのは無理なのですが、なぜか海路には表記がありません。
見どころたくさん!
このほかにも、「蝦夷三官寺」のうち有珠善光寺は名称と記号があるのに対し、厚岸の国泰寺は記号のみ、様似の等樹院は記載がありません。また、南の海上には「黒瀬川」の表記があるなど、まだまだ興味は尽きません。ルーペご持参でぜひおいでください。