おうちでおたる | 2022.02.10

小樽百景~恵比須島

小樽市総合博物館Facebookより

恵比須島

恵比須島はJR函館線沿線の風景の定番ですね。今回はそんな恵比須島の名前に関するミニコラムです。

1900(明治33)年頃の恵比須島。写真の裏書には「NO174 張碓の島」とも。
1900(明治33)年頃の恵比須島
写真の裏書には「NO174 張碓の島」とも

さて、恵比須島はいつからそう呼ばれていたのでしょうか…?
昔の資料を見ていると、現在の恵比須島はそう呼ばれておらず、今と違った呼び名が2種類あったことが確認されます。

「弁天島」と「張碓島」です。

弁天島 

朝里の郷土史家である小林廣氏の「恋の弁天島」。中身は当時の小樽図書館発行物に掲載されたものをスクラップしている。なお、当館所蔵の小林コレクションには、草稿も含まれている。
朝里の郷土史家である小林廣氏の「恋の弁天島」
中身は当時の小樽図書館発行物に掲載されたものをスクラップしている。なお、当館所蔵の小林コレクションには、草稿も含まれている。

まず、前者の弁天島は、その名の通り弁天を勧請したことに由来するといいます。当館所蔵の小林廣「小樽史話 恋の弁天島」によると、安政3(1856)年ころオタルナイの場所請負人であった岡田家が近江の竹生島の弁天から分霊し、島に鎮座させたといいます。

しかし、文久元(1861)年に時化で流されてしまい、いつしか岡田家の「恵比須屋」の屋号にちなみ恵比須島と呼ばれるようになった、とあります。

張碓島 

しかし、どうも資料を見ていると弁天島のあと恵比須島と呼ばれただけではなく、あいだに一時「張碓島」と呼ばれた時期も挟むようです。

たとえば、下の写真は昭和17(1942)年の小樽新聞の記事です。

小樽新聞記事。しきりに「張碓島」という用語が使用されている(赤傍線部)。文章の最後ではアオバトにちなみ「青鳩島」と呼称するアイデアが披露されているなどユニークなポイントもおもしろい。
小樽新聞記事
しきりに「張碓島」という用語が使用されている(赤傍線部)。文章の最後ではアオバトにちなみ「青鳩島」と呼称するアイデアが披露されているなどユニークなポイントもおもしろい。

この記事はアオバトに関する記事ですが、アオバトが寄る島を張碓島と呼んでいます。また、当館所蔵の地図ではないので画像を添付できないのですが、大正5(1916)年測量の地図では現在の恵比須島を「張碓ノ嶋」と表記しています。(地図情報は文末に表記)
なお、張碓島については特に由来は確認しておりません。

さて、そうなると恵比須島という名前はいつ頃固まったのでしょうか?
管見の限りでは、戦後になると地図や市の出版物なども恵比須島に統一していくことが確認できます。とはいえ、小林氏の記述を元にすると戦前までさかのぼっても違和感はなさそうですが…。

参考 

大正7年「石倉山」の地図(大正5年陸地測量部測量)
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」https://mapps.gsi.go.jp/maplibSearch.do

※上記は地図情報です。同ページ内に画像もありますが、荒いので視認が難しいです。同じ地図を利用している「今昔マップ on the web」様などで別途お調べいただくと見やすいかと思います。

小樽市総合博物館

1956年創立。小樽の歴史と自然を紹介する運河館、鉄道と科学を紹介する本館があります。様々な企画展や講座、蒸気機関車の動態保存などの体験もできます。   【小樽市総合博物館】 ▶本館 047-0041 北海道小樽市手宮1-3-6 電話 0134-33-2523 ▶運河館 047-0031 北海道小樽市色内2-1-20 電話 0134-22-1258  ■HP→https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/ ■FB→https://www.facebook.com/otaru.museum/ ■mail→museum@city.otaru.lg.jp

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