明治初年の見取図
明治初年(おそらく明治2年ころ)に描かれた「見取図」を紹介します。
本来は横長の図ですが、北を上にしてみました。
どこの地図?
このどう見ていいのかすらわからない地図は、現在の色内地区が右下、高島をへて上が祝津の日和山、左側が赤岩海岸からオタモイまでを描いています。
比較のため、明治8年に開拓使が作成した地図をご覧ください。
明治初年の見取図は随分いい加減な地形ですが、主眼はどこに誰が居住しているのかで、一種の住宅地図のようなものです。
石山付近を拡大してみると…
名前の横に「永住」「出稼」と書かれています。これは小樽もしくは高島に籍を移して住んでいる「永住」か、それをせず本籍は他所のまま居住している「出稼」かを区別しています。
また、名前の下の「九間」「八間」というのは浜の使用権の区切りで20~30メートルの間隔で仕切られていました。のちに小樽港の中心となる色内地区にも多くの漁家がいたことが示されています。
赤岩
この地図でひときわ目立つのが赤く塗られた「赤岩」です。
わざわざ着色するほどに目立つ赤色だったのでしょう。この赤岩海岸にも漁家のマークが点在し、こちら側にも居住者がいたことがわかります。
小樽が近代的な経済都市となる前の風景を描いた地図です。