駅弁表紙より
上の写真は寄贈資料の受入後にクリーニング・整理作業を行っていて気になった資料で、駅弁表紙です。
この絵は錦絵「東京名所競 上野山下鉄道駅真景」※出典:Tokyo Museum Collection (https://museumcollection.tokyo/works/6276041/)に似ていて、参考にしたのではと思います。
この駅弁表紙の説明に「明治20年ごろの上野山下鉄道館(現上野駅)の風景」と書かれています。鉄道館とは展示施設ではなく駅のことを表現している言葉です。
描かれた弁慶号
描かれている機関車はダイヤモンド型の煙突、その後ろの鐘、先頭のカウキャッチャーといったアメリカンスタイルで開拓使が幌内鉄道建設時に輸入した機関車のようです。しかも「2」という番号から弁慶号を連想させます。なぜか番号「1」の義経号ではないのが不思議です。そもそも明治20年ごろは両機関車ともまだ北海道で活躍していたので上野では走行していませんが。
北海道最初で同時に輸入された義経号・弁慶号ですが、実は最初に組立が終わり試運転に使用されたのは弁慶号でした。
当時の写真も義経号よりも多く存在し、北海道の鉄道創業時の写真といえば必ず登場します。そのため一般的にはアメリカンスタイルの機関車といえば弁慶号が印象に残っているのでしょうか。
鉄道資料の中にも模型や記念品などの鉄道グッズで弁慶号をモデルにしているものは意外と目にします。