百年前の小樽
2022年は小樽市が市制施行をして100年となる年です。小樽市の様々な団体などで「市制施行100周年記念事業」が行われました。それに関連して、ここでは4枚の写真をご紹介します。
色内川河口
1枚目は、近代小樽のはじめの姿として、明治14(1881)年ころの入船川河口(ルタオ付近)の写真です。まだ江戸時代の場所請負の光景がうかがえます。近代都市、小樽の出発点の写真と言えます。
色内通りと浅草通りの交差点付近
2枚目は、大正11年当時の色内通りと浅草通りの交差点付近、「小樽銀行街」が生まれる頃の写真です。左側の三菱銀行はほぼ完成していますが、右側の北海道拓殖銀行はまだ足場がかけられたまま、左奥の第一銀行は建設中です。100年前の小樽の雰囲気をよく表しています。
小樽市役所
3枚目は大正11年当時の「小樽市役所」です。この建物は小樽区役所として使ってきたものですが、「北日本一の経済都市」の役所としては少々古めかしく、昭和8(1933)年に当時最新の設備を備えた小樽市役所(現在も使用中)が建てられました。区役所時代の建物で、市制施行直前の人口108,113人(2022年5月末が109,495人)を担当していたわけですから、手狭であったことでしょう。
小樽図書館
最後の写真は、当館所蔵写真の中でも出色の光景です。小樽図書館とその前にたたずむ子どもたちです。
小樽図書館は大正5(1916)年に誕生しました。小樽の図書館の特筆すべき点は、最初に建物を作るのではなく、司書を東京の日比谷図書館から招き、館長には地方史研究者であった河野常吉を据えたことです。これは現在でもありがちなことですが、「ハコ」を作るのではなく、人を配置したところに当時の小樽の先見性を表しています。最初は当時の区役所の一室ではじまり、洋館風の図書館が建てられたのは7年後の大正12(1923)年のことです。
少なくとも、100年前の小樽は、文化の本質を理解し、近代都市の理想を目指す街でした。
この次の100年をどうするのか?これは私たちの宿題です。