消火栓
消防犬 ぶん公
ぶん公を最初に紹介した小樽出身の古生物学者 井尻正二の父 井尻静蔵は、昭和2年に常設の消防組織として編成された「小樽市消防組」の組長として、消防自動車の導入、火災報知機の設置など消防の近代化に努めた人物です。その当時、消防組の詰め所に飼われていた犬がぶん公で、消防自動車が大好きであったことは知られていますが、「ホースの口を運んだ」の部分で「そのホースはどこにつながっていたのか?」という疑問がでてきました。
消火栓はいつから?
小樽では奥沢水源地からの上水道の完成が大正3(1914)年ですので、それ以降は市街地にある消火栓からの給水で消火したはずです。
ところが『稲垣日誌』でそれ以前に「消火栓」が登場していました。
3年前の明治44(1911)年の記事に「幸ニ水道ニ水ノ通シアルニ際シ、消火栓ヲ抜キホースヲハメタレバ、水勢大ニ強ク、忽ニシテ火勢ヲ弱ムルコトヲ得」とあり、翌8月の記事にも「今夜ノ火事ト云ヒ、僅少ノ時間ニ於テ消スコトヲ得タルハ全ク水道ノ効能ヲ現ハシタルモノト云フベシ」と消火栓の存在が大きい、と記しています。
そこでもう一度水道局の資料を見返してみますと、明治44年7月に一部給水を開始していることが記録に残っていました。
開通の1年前、大正2(1933)年の記事には「小樽では近頃大火がなくなった。これは第一水道の賜である。」とあり、小樽の消防活動にとって、上水道の整備が大きく貢献したことがうかがえます。
地下式と地上式
さらに水道局の資料には、開通当初、市内に設けられた消火栓の多くが、実は地下式であり、現在、街角で見かける地上式のものは少数であったことも書かれています。
現在、地下式の消火栓は市内には存在していませんが、古い写真にみえる消火栓のようなものは、実は供用栓だったようです。