船往来手形
運河館の第一展示室に入ってすぐ右のケースには、写真のような木の板が展示されておりますが、皆様ご覧になったことはありますか?隅っこにあるので、実はあまりじっくりと見た覚えがない…という方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、この墨の文字が書かれた木の板1枚から、実にいろいろなことがわかるのです。
船往来手形とは
この板は、一般には「船往来手形」と呼ばれるものです。「船往来」や「船往来切手」などとも呼ばれる場合もありました。
船往来手形は、江戸時代(~明治初頭)の船乗りたちが、自らの身分を証明するために使用した通航証明書、あるいは身元保証書です。一言でパスポートと表現されることもあります。
この手形にはどのような内容が書かれているのでしょうか?
要点をまとめると、以下のような内容が記載されています。
・どこの人間であるか
・キリスト教徒(キリシタン)ではないか
・何の目的で渡海しているか
・きちんと行った先々のルールにしたがう
当館の船往来手形の場合は、【「加州(加賀国)江沼郡塩屋浦」(現:石川県加賀市塩屋町)の「又八」以下5名は、「キリシタンではなく」、「商売のため」渡海しており、どこの港へ寄ろうとも「その所の法」にしたがう】という内容が記載されています。
側面にも又八ら五名が乗った船の手形だということが書かれています。
このように、所持者・又八(含め5人)のことはこの手形には書かれているのですが、一方で誰が出したのか、発行者は書かれていません。残念ながら手形の裏にも書かれておらず、外箱なども付属していないので、実は当館のものは誰が発行したかということは断定できないのです。
そのため推測にはなりますが、これは恐らく又八らが出帆してきた塩屋浦を支配する大聖寺藩(だいしょうじはん:加賀藩の支藩)によって発行された船往来手形だと思われます。藩側から証明をうけているわけです。
また、この手形には宛先もありません。これは、特定の一か所だけに提出するのではなく、寄港して必要になるたびに手形を提示して使用するためでしょう。
こう見ていくと、船往来手形がパスポートのようなものとしてたとえられる理由もわかりやすいかと思います。現在も、パスポートは道庁や県庁などで発行してもらった上で、外国へいくときには必ず所持し、チェックを受けていますね。
ちなみに、船往来手形は貴重品としてふだんは船箪笥(ふなだんす:運河館にて展示中)の中に厳重に保管されていたようです。さらに、タンスに入れるだけでなく、念を入れて桐箱に入れておく場合もあったようです。また、今回紹介したもののように木の板ではなく、紙に書いた船往来手形もあるようです。
紙に書いたものまで想定すると、桐箱やタンスに入れて大事に保存していたということも、より納得しやすいように思われます。(※なお、陸上の旅行者が持つパスポートの「往来手形」は、一般には紙に書かれたものを所持していました)
身分証明書としての役割
さて、この船往来手形で大事なことは、所持者の出帆地(在住地)や目的、宗教を保証する内容が含まれていることです。江戸時代の日本では、戸籍など人々を把握するシステムは今ほど厳密なものではありませんでした。
そのため、欠落人(かけおちにん:逃亡者)ではないことや、江戸幕府が禁じているキリスト教の信者ではないこと(どこかのお寺の旦那であること)を証明することこそが、所持者が怪しくない者だとわかるなによりの記述であったわけです。
こういった要素は、江戸時代ならではの社会的背景が反映されているものと言えるでしょう。 展示ケースの一角にある小さな木の板1枚ですが、このように1枚でここまで分かることがあります。