記念スタンプ
「集印帖」の画像処理をしていたところ、興味深いものが入っていましたので、そのほんの一部をご紹介します。
いわゆる「朱印帳」なのですが、社寺の御朱印は1割以下、ほとんどが記念スタンプで埋められていました。表裏で49葉、画像の数では100近くになります。スタンプの収集時期は昭和11(1936)年と思われます。
記念スタンプを見てみよう
現在も記念スタンプの収集は多くの方の趣味となっています。その土地の有名な名所などが図案化されているのですが、時代とともに「名所」は変化していきます。

一枚目の画像は、小樽駅もしくは手宮駅のものと思われます。手宮洞窟が大きなスペースを閉めていますが、円形の内部は小樽港の様子と前年に完成した龍宮閣が描かれています。すでに小樽を代表する名所となっていたことがわかります。
どこのスタンプ?

二枚目、三枚目はいずれもオタモイ遊園地の記念スタンプですが、二枚目は「参詣記念」とありますので、遊園地というよりも「オタモイ地蔵尊」のスタンプの可能性があります。この図は龍宮閣から見た光景の様なアングルですが、「遊園地」とも「龍宮閣」とも書いていないので、地蔵尊独自のものなのかもしれません。

一方三枚目は、よく目にする崖の上にそそりたつ龍宮閣で、右下には蛇の目の印が付いています。日付がはいっていますので昭和11年と特定できる資料です。
このように記念スタンプには日付が押されているものが多く、それぞれの土地の当時の「推し」がわかる点がおもしろいのです。
例えば…
四枚目の朝里駅のスタンプの日付は昭和11年8月。図案の中のトンネルと橋は昭和6(1931)年に完成した国道の張碓トンネルで、そこからの眺望は新たな名所となりました。

右の表中にある「郊外文化住宅地」とあるのは、おそらく「東小樽土地区画整理組合」による桜の開発を指していると思われます。この計画が承認されたのは昭和9(1934)年で、昭和11年にはまだごく一部しか着工されていません。しかし、この計画が実行された時には、全国的にも珍しい、近代的な田園都市が生まれたはずでしたので、それを見越しての図案なのかもしれません。