ローソクもらい
この行事は、道南では新暦7月7日に行われますが、北海道の多くでは一月遅れの8月7日に行われることが一般的です。
本来は旧暦のお盆(盂蘭盆会)に行われた施餓鬼会が由来の行事と考えられています。明治から昭和初期の小樽の市井を記録した『稲垣益穂日誌』の明治39(1906)年8月16日の項にローソクもらいの光景が記載されています。
『稲垣益穂日誌』より
「今日は旧暦の七夕であるから、市中の様子を見ようと思うて薄暮から花園町へ散歩した。郷里土佐などでは七夕は殆ど女の遊びとなってゐるが、当地はまるで反対で、男の児の遊びである。異形の行灯をとぼして市中をあるき廻り、各戸に入りて「今年ヤ豊年七夕祭リ云々」と節曰く謡ひながら舞ひこむと、家によりては門前払もするが家によると蝋燭などを与へる。これは此の異形な行灯に用ひよといふ意味であらう。」とあります。
「異形の行灯」とは図にあるような曳き屋台のことで、平成の後期まで高島地区で行われていたものと同じと思われます。
また、「今年ヤ豊年七夕祭リ云々」と節曰く謡ひながら舞ひこむ」とあります。今も小樽の各地区で伝わるローソクもらいの囃し歌と同じです。
同じ項には「当小樽などでは端冊かざりは実に微々たるもので殆ど無いというてもよい位である。」とあり、本州風の短冊飾りは当時から少なかったことも記録されています。
絶滅の危機
小樽でのローソクもらいは一時絶滅の危機にありましたが、高島地区以外でも町内会単位で復活しつつあります。しかし、少子化のなかで危機的な状態であることには変わりはありません。『稲垣日誌』には「是等の遊びは将来必ず痕跡をたつ時機が来るであらう。」と書かれています。