張碓乗降場設置予定地の展望
今回は横21㎝、縦15㎝の小さなアルバムのご紹介です。
そこに貼られている写真をみると、恵比須島をみおろす張碓の海岸の写真で、現在でも写真スポットになっているところですが、アルバムに書かれたタイトルには「張碓乗降場設置予定地の展望」となっています。下の注釈にも「直線地点が予定地である」と書かれています。
張碓駅
張碓駅は平成18(2006)年に廃止されましたが、設置は明治38(1905)年と古いものでした。ただ、この駅は土砂採集、トンネルの事故退避場所としての性格が強く、この駅に至る道路は、線路沿いの人道が実質的なものでした。
そのため、張碓の集落近くの恵比須島付近への移転要望は何回か出ていました。この写真は昭和28(1953)年に市議会に移転要望が出されたころに撮影されたものと推測しています。
この要望については同年4月29日付の北海道新聞に記事があり、それによれば昭和20年からの6年間だけで10名の死亡事故が発生しており、駅利用者の安全確保の願いは切実でした。
張碓への戦後入植
この写真帖には張碓駅周辺の写真13枚と張碓の「入植地」の写真10枚が貼られていました。
この張碓の「入植」は戦後、道内各地で行われた「戦後入植」を指しているもので、張碓橋の小樽側の斜面地が対象となっていました。しかし、農耕には適さない地形であり、入植はかなりの困難があったようです。この戦後入植については市史などにもほとんど資料がなく、わずかに北海道新聞に困難に苦しむ人々の記事がある程度です。
今回の写真帖は、写真だけではなく詳細な注釈がついており、旧銭函地区の貴重な資料となりうるものです。