おうちでおたる | 2023.10.05

小樽百景~運河方式

小樽市総合博物館Facebookより

運河方式

明治36(1903)年に国に提出した「小樽港修築説明書」により、いったん「埠頭方式」で認可を受け、その後、設計変更書も明治41(1908)年に認可を受けた小樽港修築工事ですが、資金難でとん挫をします。

「埠頭方式」vs「運河方式」  

ちょうどそのころ、明治42(1909)年、欧米視察から帰国した廣井勇は小樽区役所で講演を行います。そのなかで「埠頭岸壁ニヨル貨物ノ積卸シハ他日ニ譲ルトシテ、艀船ヲ利用スル運河方式ノ方ガ便利デアル」と述べます。

もともと、「埠頭方式」「運河方式」の支持者は、それぞれのちの「革新倶楽部」「政友会」の二大派閥による主権争いが背景にあり、両者による激しい政争に巻き込まれていきます。

小樽港築港事務所長を務めた廣井の発言は、政府だけではなく、小樽区民の世論にも大きな影響を与えます。しかし、その決着は元号の変わった大正3(1914)年にまでずれ込みます。

「運河方式」へ  

廣井勇の意見に後押しされ、大正3(1914)年「運河方式」で着工されます。しかし、その年の1月に北海道庁から3カ所の変更を条件にされての着工でした。その条件の中に「運河ノ幅員ハ弐拾弐間以上トナスコト」つまり運河の幅を40mにすることが含まれていました。認可前の申請では17間、31mですので、かなり広くなっています。これは反対派などから出ていた、艀の停泊には不便な大きさ、という意見を取り込んだものでした。

1931年「小樽市全図」に加筆
赤い斜線は完成した埋立地。濃い赤は当時の埋立予定計画。手宮側は着工しなかった。
1931年「小樽市全図」に加筆
赤い斜線は完成した埋立地。濃い赤は当時の埋立予定計画。手宮側は着工しなかった。
大正3(1914)年、現在の運河北端、郵船支店前付近から工事が着手された。画面右に埋立中の第一工区、左側に整備中の岸壁が見える。
大正3(1914)年、現在の運河北端、郵船支店前付近から工事が着手された。画面右に埋立中の第一工区、左側に整備中の岸壁が見える。
大正6、7年ころ。現在の北海製罐工場付近。手前左側の第一工区は完成間近。北日本一の商港の機能を保ったまま工事は進行していった。
大正6、7年ころ。現在の北海製罐工場付近。手前左側の第一工区は完成間近。北日本一の商港の機能を保ったまま工事は進行していった。

この決定案では「鉄道院埋立地」、現在の本館からローソン色内店付近に南接して手宮川を境に(現在は手宮仲川河口が北限)「立岩」(現在の三菱ふそう付近)まで、22間の距離を置いて埋め立てる。さらに北側から4工区にわけて施工する、中央二個の「島形」(第二、第三工区)と南北二か所の「半島形」(第一、第四工区)埋立を行う。各「島」の間には幅員15間(27m)の航路3カ所を設ける。さらに、現在の運河館前にあった「舟入澗」は運河とするため、第三工区の海側に移設する、など、ほぼ現存する運河の姿が現れていました。

大正7(1918)年ころ。現在の北海製罐工場付近。第二工区は完成直後に「北海道博覧会」の会場となり、その後、製罐工場が建設された。
現在の北海製罐工場付近。第二工区は完成直後に「北海道博覧会」の会場となり、その後、製罐工場が建設された。

小樽市総合博物館

1956年創立。小樽の歴史と自然を紹介する運河館、鉄道と科学を紹介する本館があります。様々な企画展や講座、蒸気機関車の動態保存などの体験もできます。   【小樽市総合博物館】 ▶本館 047-0041 北海道小樽市手宮1-3-6 電話 0134-33-2523 ▶運河館 047-0031 北海道小樽市色内2-1-20 電話 0134-22-1258  ■HP→https://www.city.otaru.lg.jp/simin/sisetu/museum/ ■FB→https://www.facebook.com/otaru.museum/ ■mail→museum@city.otaru.lg.jp

関連記事