船艦札
今回は運河館の展示にて船往来手形の隣に配置している「船鑑札」の資料解説をいたします。
船鑑札とは
結論から申し上げると、今でいう車検証や船検証などと近いものといえそうです。
では、資料の中身は何が書かれているのでしょう?
右側から、
「七拾三石七斗七升弐合積」
「金峯丸」「乗組三人」
「渡島国亀田郡函館 濟藤嘉兵衛舩」「佐兵衛乗」
と書かれています。
また、裏側(写真左、複製品)には開拓使の発行証明の焼印が押され、合わせて発行年月「明治七年第八月」の記載があります。
以上のような内容がこの資料からは読み取ることができ、積載量・船名・乗船人数・船主名・船頭名などの情報がわかります。
この船鑑札はどう使われていたのか?
明治初期の北海道では、ここ小樽の手宮と函館・寿都・幌泉(現えりも町)の合計4ヶ所に「海関所」という施設が設けられていました。この海関所(海官所と書く時期もあり)は、江戸時代の松前藩が設置していた沖の口役所に端を発するものです。施設の機能は、一言でいえば徴税施設です。
具体的には、出入りする荷物の代金の数%(入出時で割合の違いあり)を徴収したり、一定以上(以下)の船の積載量に応じた税を徴収したりしていました。
つまり、当時から積載量などは徴税に関わる基準であったのです。そして、この船鑑札は船の所有者などの情報とともに徴税の基準を明示している板といえます。
なお、海関所の規則によると、新造したり中古で買い入れた船は海関所に積載量や人数の届出をして、海関所から船鑑札を受けるように決められていました。
「船往来手形」と「船艦札」の違い
前回紹介した船往来手形は、所有者と船の同乗者が怪しいものではない(キリスト教徒ではない身元確かなもの)ということを示す、「人の」身元証明書でした。
一方で、こちらの船鑑札は、「船の」情報を明記する証明書であったといえます。両方とも一見すると似たような木の板ですが、書かれた情報と役割に違いがあったのです。
今回の船鑑札と前回の船往来手形共々、ぜひ改めて運河館の資料展示をご覧ください。