海水浴
小樽の短い夏といえば、蘭島や銭函での海水浴が人気ですが、小樽での海水浴はいつ、どこで始まったのでしょうか。これについては地方史研究家の渡辺真吾氏が簡潔にまとめられています。(渡辺慎吾 2010「海水浴場の歴史2」(月刊『小樽學』2010年11月号)

明治28(1895)年7月に勝納川河口の有幌町旧警察署跡(現在の青果市場付近)とオコバチ川河口南側にあたる堺町立岩付近(現在の三菱ふそう周辺)に「小樽教育会」によって設けられた「児童遊泳場」がそのはじまりとされています。
もっとも明治26(1893)年5月の新聞記事に「毎年銭函にて開場する海水浴場にては、今年更に業務拡張し休憩所を新築したるが、今回落成したる由にて、本日各有志者を招待し、披露の宴を張れり」とあり、おそくとも明治26年以前に銭函で海水浴場が開設されていたことが推測されます。

稲穂小学校校長として赴任したばかり稲垣益穂はその日記に「海岸に歩行して見ると水泳者が非常に多いのを見た。北海道もいよいよ夏となったらしい。併し内地とは違って永く水泳ぎをしたものは水から上って皆焼火で暖をとって居る。水泳者の中には、昆布をとって乾して居るものもあるし、又「ホヤ」をとって手拭に包んで居るものもあった。」(明治36年7月29日)とあります。「たき火をしながらの水泳」は北海道ならでは光景でした。
水泳講習会
『稲垣日誌』には児童水泳講習会の記事もあります。
「午前十時過から、塩谷の海水浴場へ往た。(中略)乗って見ると、量徳の大場校長ものりこんで来た。先生は毎日塩谷へ出張するので、前腕の皮など褫落しかけてをる。やがて塩谷についた。(中略)講習を受けてをる生徒は、午後の分が百二十人位もあったか、之を数組に分って、各担任の先生が指導してをる。例の岩本先生は真黒になった、堅実に肉の発達した身体に水泳服を着用して、一番幼稚な三組を指導してをらるゝ。先の方にかゝってをる船には、上達した組が逆飛込みやら、順飛込みやら、種々の練習をやってをる。」(大正9年8月11日)

塩谷海岸や蘭島海岸での水泳講習会はその後、タカクワクラブによるものも含め、小樽の子供たち共通の夏の思い出になっています。残念ながら平成19(2007)年を最後に講習会は行われていません。
なお、立岩などでの児童遊泳場での指導者には「大竹作右衛門」の名前が見えます。大竹は元会津藩士で、江戸詰めの際に修練した泳法「向井流水法」の伝承者でもありました。この大竹によって伝えられた「向井流水法」は現在、小樽市指定無形文化財となっています。

令和7年度に小樽市内で開設されている海水浴場は、おたるドリームビーチ(銭函)、銭函、東小樽、塩谷、蘭島の5カ所のみです。安全な海水浴場でお楽しみください。
