開福餅
手宮(錦町)に唯一のこっていた餅屋「開福餅」さんが令和6(2024)年9月末で閉店されました。
手宮の商店街はまた寂しくなります。なにより、総合博物館本館から昼休みに歩いて行ける距離にある唯一の餅屋さんであり、残念でなりません。
小樽の餅屋
かつて小樽の街を特徴づけた「市場・銭湯・餅屋」ですが、いずれも近年姿を消していっています。とくに餅屋はこの3年の間に、奥沢十字街の「菊原」、花園グリーンロード近くの「ツルヤ」と立て続けに長い歴史に終止符を打たれていました。
小樽は米の移入港としてにぎわっていた関係で、米の加工業も多くあり、精米業、醸造業などが主要な産業となった時期があります。港湾労働者のファストフードとして人気のあった餅も米を使う商売であり、遅くとも明治5(1872)年には入舟五叉路近くで営業しています。
詳細な数は100軒を超えていたと伝わっていますが、昭和26(1951)年に小樽餅商組合設立時に加盟した店舗だけでも45軒が記録されています。総合博物館では南小樽市場前にあった「大福屋」さんに情報をお聞きしていましたが、平成18(2006)年に餅商組合が解散したころ、大福屋さんを含め10軒に減少していました。
それから20年足らずで、(旧餅商組合加盟店の)餅屋さんは市内に4軒のみということになりました。
手宮地区
「開福餅」といえば、黒いべこ餅が有名ですが、個人的にはもっちりとした団子が好きでした。手宮にはかつてもう一軒、「竹屋」というお店もありました。これで手宮地区からは、市場も銭湯も餅屋もなくなってしまいました。