スキー
季節は本格的に冬となり、運河館第一展示室の復元商家の供用栓まわりも冬の展示となりました。スキーやソリ、雪除け用スコップ、さらに馬そり、人力そりが展示されています。

スキーは戦前の木製スキーを展示しています。竹の二本ストックです。
小樽とスキー
実は、小樽は日本の中でもかなり初期にスキーが行われた場所なのです。
日本における近代スキーの始まりは明治44(1911)年1月、新潟県、現在の上越市において、オーストリア・ハンガリー帝国の軍人、テオドール・エードラー・フォン・レルヒによる講習会にあるとされています。
レルヒは翌明治45(1912)年2月、旭川の第七師団でも講習会を行い、その総仕上げとして羊蹄山での滑降を計画します。その移動の途中に小樽に立ち寄り、小樽公園でスキー講習を行っています。これには、第七師団の兵士のほか、この年の2月にレルヒの講習を受講した小樽高商(現 小樽商大)の苫米地教授が持ち帰ったスキー3台で練習をした高商の学生も参加しています。

これを見学に行った稲穂小学校校長、稲垣益穂の日記にも「公園ニ廻リテスキー遊戯ヲ観テ、夕方帰宅セリ。スキーハ本日旭川師団ノ方ヨリ愈々来樽セリトノコトナリシガ、(略)他ハ皆高商ノ学生ラシク見受ケタリ。」(明治45年4月7日)とあり、高商生の参加が記録されています。

稲垣によれば、日本に伝えられてわずか2シーズン目にもかかわらず、「本道ニテハ旭川ノ第七師団、札幌ノ農大、小樽ノ高商ニ流行シ始メタルナリ。」とその拡大にふれ、さらにスキーの魅力についても「勾配急ナル斜面ヲ急速力ニテ辿リ下ル景況ハ、宛然飛鳥ノ如ク、其壮快他ノ遊戯ノ及ブ所ニアラズ。」と記しています。そして「価サヘ安ク出来ルコトヽナレバ、小学校生徒マデ普及スルニ至ルベキカ。」と記述し、ますます普及していくことを予想しています。
スキーの街へ
実際、稲垣の予想通り、小樽では大正中期に女学校でもスキー授業が行われ、またスキー板の製造も始まります。さらに大正12(1923)年には天狗山山ろくで「第一回全日本スキー選手権大会」が開催され、のちにはオリンピック選手も輩出する「スキーの街」へとなっていきます。

なお、伝来当初はストックは1本の竿状のものでした。二本ストックが国内で主流となったのは大正中期頃と言われています。
小樽では、小、中、高ともスキーがいまだに授業として取り入れられており、特に小学生スキーヤーの技術の高さは、他地域出身者からは驚くほかはない、というほどのレベルです。
