総合福祉センター
2024年12月、保健所が富岡から築港のウィングベイに移転しました。今年の春には隣の総合福祉センターの機能も同じくウイングベイに移転する計画が公表されています。

現在の総合福祉センターは、昭和45(1970)年に建設されています。その当時と思われるパンフレットが寄贈されました。写真ではなくパースが描かれていますので、建設間もない時期のものでしょう。局番も「5」の一桁です。利用案内の「老人(60才以上)」という表記も時代を反映しています。

略図に注目!

建物内部の構造は、現在のものとあまり変わりはないのですが、注目していただきたいのは、「略図」です。

市役所の右側、現在の水道局の場所には「市民病院」があります。市立市民病院は昭和47(1972)年、統合・移転し、市立第二病院となります。また、産業会館の向かい側、現在は焼鳥屋さんが入っているビルの場所は「ガソリンスタンド」と書かれています。さらに稲穂小学校の校舎のイラストには円形校舎が描かれています。この時期、小樽は次々と新しい施設、ビルが建てられていました。
土地の変遷
さて、保健所や福祉センターのある富岡の土地は、明治時代は稲穂女子小学校があった場所です。校庭を挟んで稲穂(男子)小学校があるという、ちょっと変わった配置でした。稲穂女子は戦後、稲穂小に統合されましたが、児童数の増加により跡地に新制の「富岡中学校」が設置され、さらに富岡中学が統合され西陵中学となったため、その跡地に今度は「富岡小学校」が建てられました。その後にできたのが保健所・福祉センターです。

小樽の昭和史を語るうえで、かなり注目すべき場所と言えます。さて、保健所の跡地はどうなるのでしょうか?