製氷池
明治初期、天然氷の生産地として有名であったのは函館、五稜郭付近でしたが、道央圏に人口が増えたこともあり、明治中期には小樽でも製氷が事業として行われました。
厳寒期の風物詩だった「製氷池」

現在の最上1丁目と緑3丁目の境をはしるオコバチ川にできた自然の池を使用していました。
いつ頃?
ここでの製氷事業についてはあまり記録がなく、不明な点が多いのですが、遅くとも明治30年代には医療用を中心に出荷をしていたようです。

明治36(1903)年の稲穂小学校校長の日記には「製氷会社の凍氷池を縦覧した。五六拾坪のものが二箇設けてある。」とあり、昭和7(1932)年の地図には「平野製氷地」の文字がありますので、明治後期から昭和初期までは稼働していたことになります。

天然氷製造の衰退
日本では遅くとも明治10年代には機械製氷が東京や横浜で行われていましたが、鉄道網の発達により、冷蔵貨車が誕生すると機械製氷が主流となり、天然氷の製造は衰退していきます。特に、山側の住宅開発が進んでいた緑地区に近接する最上での製氷も次第に減少することになります。

小樽では、昭和中期まで小樽公園内に天然スケートリンクがあったほど、氷の利用は身近なものでしたが、現在はその痕跡をさがすことも困難になっています。
